『邪馬台国二大論争?』

「魏志倭人伝」に記された邪馬台国の在処。たった1985文字に過ぎないが古来より多くの人の好奇心を掻き立て、今なお謎に包まれている。里・日数/地理記事や出土物・遺跡の発掘年代等から「九州説」と「畿内説」に大きく二つに分かれる。史書を知るには「春秋の筆法」を知ることが必要なようだ。

※「魏志倭人伝」を読んだことがある人に、謎解きのガイドとして楽しんで頂く目的で「邪馬台国」二大論争の要点(争点)と「春秋の筆法」の論点を1枚に簡略化し整理(下図)しました。「邪馬台国の全解決」はポイントのみ紹介しており、結論は各自で本を手に取り楽しんでください。書き下し文や現代語訳は各自ご準備ください。

  • 私の謎解き注目ポイント

「春秋の筆法」を知ることで「邪馬台国」の在処の謎に一歩近づいた。参考図書の結論には共感する部分が多いが全解決には尚早である。『卑弥呼の死』や『宗女・台与』そして『邪馬台国のその後』が依然として謎のままだからである。ようやく謎解きの出発点に立ったのである。それでは陳寿はそのことを知らなかったのか?台与の使者が朝貢した時に、張華や杜預を通じて話を聞いた可能性が高い。トップシークレットだからこそ周到に隠したのである。

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