学校やオリンピックなどで幾度となく唱えてきた「君が代」ですが、大半の人は古今和歌集の「読人知らず」くらいのことは知っていてもほとんど何も知らないのではないでしょうか?
実は「君が代」のルーツが金印「漢倭奴国王」が見つかった志賀島にあります。
私の実家からも近く子どもの頃から遠足や海水浴、ドライブによく出かけた場所なのですが「君が代」のことは全く知りませんでした。
そこに志賀海神社があり春(4/15)と秋(11/15)に五穀豊穣と収穫に感謝して「山誉祭」が行われるのですが、その神事の詞に「君が代」があるのです。
志賀海神社は玄界灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として志賀島に鎮座し、伊邪那岐命が黄泉の国に行った穢れを落とすため禊をした時に生まれた綿津見三神を祀っています。神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられて厚く信仰されており、神功皇后の三韓出兵で御舟を導き守った阿曇磯良丸により元々島の北側で三社(表津宮・仲津宮・沖津宮)で奉斎されていた表津宮を遷座したと伝えられています。
山ほめ神事の起源は明らかではないですが、神宮皇后が三韓出兵した時に皇后の御前にて志賀の海人たちがこの古くより伝わる山ほめ神事をお見せしたところ、実に面白い儀式であるとして皇后はこの神事を「志賀の浜に打ち寄せる波が途絶えるまで伝えよ」と厚く庇護され今に伝えられています。
- 山ほめ神事にある「君が代」
君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで
あれはやあれこそは わが君の御船なり うつろうがせ みがいに命 千歳という
花こそ咲いたる 沖のおんづの 潮早に はえたらむ つるおにくわらざむ 鯛は沖のむれんだいほや
2011年8月に志賀海神社へ出かけて以降古代史謎解きにはまってしまいました。神宮皇后より前の時代にこのエリアで海人から「君」と呼ばれる存在とは一体誰なのか?もしかすると「邪馬台国」の在処に繋がるヒントが隠されているのかも知れません。